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今更ながら『ケイゾク』あれこれ

TRICKは再放送で何度も観て、そのコミカルなやりとりと後味の悪さが大好きだったのですが、なぜか『ケイゾク』と『SPEC』は観ていなかった私です。

今更ながらケイゾクにはまってしまい、備忘録として記しておきたいと思います。

 

オリジナルシリーズは1999年ということで、15年前のドラマなんですね。

相棒やCSIをワクワクしながら観る私ですが、ケイゾクを観ているとゾクゾクします。

 

ケイゾクが他の刑事ドラマと異なり、かつ私が大好きな点は、「普通そこまでは言わないだろう」ということを真山がズバッと言ってしまうところです。犯人の子供に「ママ、人を殺したの?」なんて言わせたり。抗議の電話が殺到するだろうしTwitterなんかでも炎上しそうなので今はできないんでしょうね、きっと。私が観ていないだけであるのかもしれません。『告白』とか。

私は刑事ドラマやミステリードラマが大好きでよく観るのですが、トリック重視か感情に訴えるかでおおまかに分けて考えています。前者は散々やり尽くされた後で、目新しいものは珍しいです。この感じはあの小説に出てきたなとか、ドラマで見たよ、ってこともあると思うんです。『名探偵コナン』を長年観続けていれば誰が殺されるかなんて大体想像がつきます、だってあからさまに憎まれているもの。ある種のパターン化は逃れられません。

じゃあ、どうやって過去の作品群と差別化して行くのか。「シェイクスピアの時代に物語の大体の型は出尽くした」という話をよく耳にします(どなたがおっしゃったのか興味がありますね)。それでも、私たちは日々提供されるドラマや映画を新鮮な気持ちで楽しめます。なぜだろう。これは『物語の法則(クリストファー・ボグラー&ディビッド・マッケナ著)』を読んで感じたことです。まだ自分なりの答えが出せていないので、割愛します。

 

ケイゾクの話に戻りますと、「殺人は悪いこと」、それが刑事ドラマの前提です。刑事は殺人や犯罪を犯した人間を捕まえ、裁きの庭に連れて行くことが仕事です(と勝手に思っています)。それと同時に次の犯罪を抑止することも。

刑事ドラマの犯人は、謎解きが終わると「仕方がなかった」「こうするしかなかった」と言いますよね。かのコナン・ドイルも『緋色の研究』で犯人が殺人を犯すことになった顛末をたっぷり使って描写しています。私は犯人に同情するし、復讐を遂げた犯人にスカッとする側の人間です。「栃木実父殺し事件」を初めて知ったとき、これは殺して正解だったと思ってしまう人間です。

 

同情を買うような事情があると、(映画ジャイアン的発想で)視聴者は心の片隅で犯人を許してしまうわけです。悪い、という認識が少しばかり変わります。

で、ここが私がケイゾクを好きな理由なんですが、この、視聴者が許してしまう場面、その数秒後に現実を突きつけるタイミングがたまらないんです。だって、逮捕後って一番ほっとする場面じゃないですか。ああ、これで終わった。今日のドラマ面白かったな、とかありきたりな話だったな、冷凍庫にアイスまだ残ってるかなーなんて考え始めます。

そのタイミング、トリックに騙されまいと張り詰めていた心が一番緩みきっているときに真山の「いやちげえだろ現実を見ろよ」的な発言を投入してくる!ここ!ここです!みなさん!苦しくて、でもそうなんだよな、間違ってないよなってあれこれ考えさせるんですよ!脚本家の方はそうは思っていなくても私が勝手に考えているので別にかまいません(笑)その、実生活にねじこんでくる感じですね、たまらないですね。

トリックもそんなところが大好きです。「一件落着。でも、問題はまだ残ってるよね」感といいますか。くう、たまらない!後味の悪い話を読み漁ってる私の意見なので多少偏っているとは思いますが。

じゃあどうすればよかったの?中学時代大好きだった信長を殺さずに済むにはどうすればいいか考えてた時期があって、それの名残かもしれませんね。明智光秀にもうちょっと優しくするとか(笑)

 

偉そうに言ってますがまだ6話目までしか観ていないので全部観終わったらもう一回ちゃんと感想書きたいです。